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昭和14(1939)年 株式会社大丸元社長故里見純吉の発意にもとづき、大丸洋裁研究所を堺に設立。
昭和17(1942)年 大阪市天王寺区(現在地)に移転。大丸洋裁学校、のちに大阪家政学園と改称し、高女卒業者を対象とする。
昭和18(1943)年 戦時の要請により、保健婦養成施設の指定を受ける。大阪女子厚生学園と改称。
昭和21(1946)年 文化部を新設し、従来の保健婦養成部門を厚生部とする。
昭和22(1947)年 財団法人大阪女子厚生学園を設立。
昭和23(1948)年 学制改革にともない、大阪女子厚生学園高等学校を設立。
昭和25(1950)年 高等学校を大阪女子学園高等学校と改称。
大阪女子厚生学園厚生部・文化部を廃し、大阪女子学園短期大学を設立。
昭和26(1951)年 財団法人大阪女子厚生学園を、学校法人大阪女子学園に組織変更。
平成15(2003)年 1年次からのコース制を導入(英語国際・音楽・美術・総合進学)。
平成16(2004)年 特進(文系)コース新設。
平成17(2005)年 学校法人大阪夕陽丘学園、大阪夕陽丘学園短期大学、大阪夕陽丘学園高等学校と改称。
男女共学化(一部)。特進(理系)コース新設。
   
 

本校は長い女子校の時代を経て、平成17年に共学校として新たにスタートしました。女子校当時は、創立者の里見純吉先生の「教師は良き農夫たれ」の精神を受け継いで地道に教育活動を続けてきました。これは農夫が草花に水をやり、肥料をやって成長を手助けするように、一人ひとりの生徒が自立していくのを時には辛抱強く待ち、時には適切な手助けをし、自立への支援をしていくのが教師の役割であるという教師の基本的な姿勢を意味します。今では当たり前のように言われる「一人ひとりの生徒を大切に」する教育にこの精神が、本学園の一人ひとりの教員の基本姿勢として受け継がれてきました。
共学になって学校の中身も変わっていきますがこの精神は不変です。さらに進学指導や生活指導により質の高い内容を求めていきます。一人ひとりの生徒が学校の中に自分の居場所がきちんとある、そんな場に生徒の教育に情熱をもった教師や教師集団がいて教育の効果が上がります。基本的な姿勢を大切にしながら高い目標に向かって、生徒も教師も学校も変わり続けます。