歴史・沿革
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YUHIGAOKA進化の軌跡
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創立者の里見純吉はどんな人物?
さとみ・じゅんきち(1878年 – 1952年)は、
昭和前期の日本の事業家、社会教育家である
大丸第2代社長である里見は、百貨店業界の雇用関係の確立、店則・職務規定の整備、従業員の待遇改善などを行い、雇用関係の面で大丸を近代企業に建て直した。
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1939~
里見純吉がたてた建学の精神・教育理念
建学の精神「愛と真実」を説き、「大丸洋裁研究所」を設立
建学の精神:愛と真実
学園に来り学ぶ者は、知識や技術よりもその第一に“良い人間”になることを心がけねばならない大阪夕陽丘学園短期大学は、1939年に里見が設立した「大丸洋裁研究所」(堺市)を母体とする。里見は、「愛と真実こそ~人を偽らないことである」と教育理念を説き、自ら教壇に立って女子に教育の機会を開いた。
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1950~
日本で最も歴史のある短大のひとつ
「大阪女子学園短期大学」が誕生栄養士養成施設としての始まり
「大丸洋裁研究所」から「大阪家政学園」「大阪女子厚生学園」を経て、1950年に本学の前身である「大阪女子学園短期大学」が設立された。
1952年に短期大学家政科が「栄養士養成施設」の指定を受ける。 -
1963~
短期大学家政科を食物科、被服科に改組
現在の学科・コースの基盤ができる
1963年、短期大学家政科を食物科、被服科の2学科とする。1972年に食物学科、被服学科に改め、現在の食物栄養学科、キャリア創造学科の基盤となる学科が確立した。同年、衣料管理士養成大学の認定を受ける。
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1989~
学園創立50周年を迎える
時代に合わせ、役割を変化させながら発展
1989年、学園創立50周年を迎える。短大被服学科の名称を1995年に「服飾文化学科」、2003年に「ファッション表現学科」と改める。同年、食物学科を分離専攻し、「食物栄養専攻」「食生活専攻」を設置するなど時代に合わせて変化しながら、2003年、短期大学創立50周年を迎える。
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2005~
「大阪夕陽丘学園短期大学」に改称
男女共学となり、さらなる飛躍を
長らく「食物」「被服」を軸に女子教育を担ってきたが、2005年「大阪夕陽丘学園短期大学」と改称。09年度から男女共学となり、製菓衛生師養成施設の認定を受ける。学科を「食物栄養学科」「キャリア創造学科」と改め、新たな短大の幕開けとなる。
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2021~
産学連携キャリア創造コースを新設
時代とともに進化し続ける
2021年4月、キャリア創造学科「産学連携キャリア創造コース」を新設し、地元企業や大阪市・天王寺区、三重県志摩市、兵庫県養父市などとの産官学・地域連携を強化。アクティブラーニングやICT教育を拡充し、時代とともに進化し続けている。
HISTORY
- 1939
- 大丸洋裁研究所を堺市船尾に設立。47年、大阪市天王寺区生玉寺町(現在地)に移す。
- 1947
- 財団法人大阪女子厚生学園を設立。
- 1950
- 大阪女子学園短期大学(家政科)を設立。51年、財団法人組織を廃し、学校法人大阪女子学園を設立。
- 1952
- 短期大学家政科、栄養士養成施設の認定を受ける。
- 1963
- 短期大学家政科の組織を改め、食物科・被服科の2学科となる。
- 1972
- 学科名称を食物学科・被服学科に改める。被服学科、社団法人日本衣料管理協会より衣料管理士養成大学の認定を受ける。
- 1989
- 学園創立50周年を迎える。
- 1995
- 短期大学の被服学科の名称を服飾文化学科に改める。
- 2003
- 食物学科を専攻分離し、食物栄養専攻、食生活専攻を設置。服飾文化学科の名称をファッション表現学科に改める。
- 2005
- 短期大学並びに法人・高校の名称を大阪夕陽丘学園に改称。栄養教諭2種免許状の課程認定を受ける。
- 2009
- 男女共学制を導入する。学科名称を食物栄養学科・キャリア創造学科に改める。製菓衛生師養成施設の認定を受ける。
- 2014
- 学園創立75周年を迎える。
- 2021
- キャリア創造学科に産学連携キャリア創造コースを設置。さらなる飛躍をめざす。